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最高裁判所第一小法廷 昭和42年(あ)47号 判決 1973年3月22日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人石島泰、同斉藤一好、同田口康雅の上告趣意第一点は、原判決は憲法二三条の解釈を誤つている旨主張す。しかしながら、憲法二三条は学問の自由を保障するところ、原判決は、学生の集会と憲法二三条の関係については、大学の許可した学生集会であつても、真に学問的研究またはその結果の発表のためのものでなく実社会の政治的社会的活動にあたる行為をする場合には、大学の有する特別の自由と自治は享有しない旨の判断を示すにすぎないものであつて、所論のうち、原判決の右判断が憲法二三条に違反すると主張する点は、被告人千田謙蔵の関係においては、最高裁判所の差戻判決(昭和三一年(あ)第二九七三号同三八年五月二二日大法廷判決・刑集一七巻四号三七〇頁)の破棄理由とした法律上の判断(裁判官横田喜三郎外五名のいわゆる多数意見および各補足意見の一致する点をいう。以下同じ。)に従つてした原判決の判断を非難するものであり、適法な上告理由とならず、また、被告人福井駿平の関係においては、憲法二三条を原判決のように解釈すべきことは、前記大法廷判決の明らかにするところであるから、所論は理由がない。その余の所論は、原判決の判断していない事項、または、判決の結論に影響のない原判決の判断について憲法違反を主張するものであつて、適法な上告理由とならない。

同第二点は、原判決は、憲法二三条の「学問の自由」の解釈にあたつて、警察官が警備情報収集活動のため、本件以前から継続的に学内集会に立ち入つていた事実を切り離して、形次論理的抽象的に判断した結果、同条の解釈を誤つたと主張する。しかしながら、原判決は、前記大法廷判決の趣旨に従つて、本件東大劇団ポポロの演劇発表会(以下本件集会という。)は、真に学問的な研究または発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動にあたる行為をしたものであり、かつ半公開的なものであつたということを理由に、大学における学問の自由を享受しえないものである旨の判断をしているのであるから、憲法二三条の学問の自由の解釈にあたつて、所論の主張するような警察を考慮する必要は認められず、したがつて、論旨はその前提を欠き、適法な上告理由とならない。

同第三点は、原判決は、憲法二三条の「学問の自由」の解釈にあたつて、本件集会への警察官の立入りの当否を考慮しなかつたため、同条の解釈を誤つたと主張する。しかし、原判決は、前記のとおり、本件集会は、憲法二三条の学問の自由を享受しえない性格のものであつたと判断しているのであるから、同条の解釈にあたつて、警察官の立入りの当否を考慮する必要は認められず、したがつて所論はその前提を欠き、適法な上告理由とならない。

同第四点のうち、憲法二三条違反を主張する点は、本件集会が実社会の政治的社会的活動にあたらないという原判決の認定しない事実を前提とするものであつて、適法な上告理由とならない。その余の論旨は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

同第五点は、単なる法令違反の主張であつて、同条の上告理由にあたらない。

同第六点のうち、憲法三九条違反を主張する点は、被告人千田謙蔵に対する旧第一、二審判決および被告人福井駿平に対する旧第一審判決は、それぞれ上級審によつて全部破棄されているのであり、したがつて、差戻後の第一審が審判の対象とした各起訴状記載の行為は、いまだ無罪とされたものでも、また刑事上の責任を問われたものでもないのであるから、所論はその前提を欠き、その余は、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由とならない。

同第七点は、憲法違反を主張するが、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由とならない。

同第八点は、憲法三七条違反を主張する点もあるが、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由とならない。

同第九点ないし第一一点は、いずれも単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

同第一二点、第一三点は、いずれも事実誤認の主張であつて、同条の上告理由にあたらない。

よつて、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。

この判決は、被告人千田謙蔵に関する部分につき、裁判官岸盛一の反対意見があるほか、全裁判官の一致した意見によるものである。

裁判官岸盛一の反対意見は、次のとおりである。

私は、上告趣意第六点のうち、原判決が、被告人千田謙蔵に関する公訴事実(二)、すなわち、同被告人の本富士警察署巡査茅根隆に対する暴行の事実について審判したことは、憲法三九条に違反するものであると指摘する点は、理由があると考えるものである。

そこで、右の論点に関する本件の経過を摘記すると次のとおりである。

被告人千田に対しては、右の公訴事実(二)のほか、公訴事実(一)として、同被告人の同署巡査柴義輝に対する暴行の事実の併合罪の関係にあるものとして起訴されたところ、第一次第一審は、柴巡査に対する暴行のうち、その一部についてだけ構成要件該当性を認めたが、その他の事実はすべて犯罪の証明がないとしたうえ、右の構成要件該当性を認めた事実についても、違法性阻却事由を認めて、同被告人に対して公訴事実(一)(二)の全部について無罪の判決をした。この判決に対して、検察官から、事実誤認および法令違反を理由として控訴申立がなされたが、第一次控訴審は検察官の控訴を棄却し、これに対して検察官は、右判決全部を不服として上告の申立をしたのであるが、上告趣意書では憲法違反および法令違反の主張があつただけで、事実誤認についてはなんらの主張もされなかつた。第一次上告審は、憲法違反の論旨を理由ありとして、原判決および第一審判決を破棄し本件を第一審に差し戻したのであるが、その破棄理由として、憲法二三条の学問の自由の保障と大学自治の原則との関係についての憲法判断を示し、原判決には憲法の解釈についての誤があることを指摘しただけであつた(ただ、石坂裁判官の補足意見には、原判決には事実誤認の疑もあるということが指摘されている)。差戻後の第一審は、被告人千田に対する公訴事実(一)(二)の全部が審理の対象となると解したうえ、右の全部について有罪と認め供合罪として処断したが、控訴審もこれを支持して同被告人からの控訴申立を棄却し、この判決に対して同被告人から本件上告の申立がなされたのである。

以上の経過からして、差戻後の第一、二審が、被告人千田についての公訴事実(二)をも審理の対象としたことが正当であつたかどうかが問題となつているのである。

多数意見は、被告人千田に対する差戻前の第一、二審の判決は、第一次上告審によつて全部破棄されたのであるから、公訴事実(二)の事実も、いまだ有罪無罪のいずれとも確定していないという。この見解は、判決の内容は、宣告された判決主文に凝結されているのであるから、第一次上告審の判決主文が、同被告人に関する差戻前の第一、二審判決を破棄して第一審に差し戻すという以上は、差戻後の審理の対象は、起訴の当初にもどつて公訴事実(一)(二)の全部におよぶものであるという理解にたつものと思われる。たしかに、判決が宣告されたからには、告知された主文の表示どおりの判決がなされたものとしなければならない。そして、もし、主文のその理由とのあいだにくいちがいがあつても理由を参酌してみだりに主文を変更して解釈することは許さるべきではない。このことは、法的安定性ならびに刑事手続の形式的確実性の要求するところであつて、多数意見の見解も理由のないことではない。

しかし、私は、法的安定性や形式的確実性の要請も、被告人の本質的利益の前には譲歩しなければならない場合があると考える。本件の場合、被告人千田について、前記のように、第一次控訴審の判決に対して、検察官は、部分を限らないで全部上告の申立をしたにもかかわらず、犯罪の証明なしとして無罪とされた公訴事実(二)については、上告趣意書においてなんら適法な上告理由の主張をせず、また、刑訴法四一一条三号にあたるとして上告審の職権発動を求めることもしなかつた。そうすると、右の部分については、上告趣意書提出期間内に上告趣意書を提出しなかつた場合と同様の法的効果(刑訴法三八六条一項一号、四一四条)を認めるべきであつて、公訴事実(二)については、犯罪の証明がないことを理由に無罪とした第一次第一審の判決を支持した第一次控訴審の判決部分は、上告趣意書提出期間の経過とともに実質的には確定したものといわざるをえない。したがつて、第一次上告審は、その判決主文において、公訴事実(二)に関する部分の検察官の上告を棄却する旨を明示すべきであつたのである(最高裁昭和三八年(あ)第九七四号四三年一二月四日大法廷判決・刑集二二巻一三号一四二五頁参照。)。私は、このような第一次上告審の判決主文の一部脱落という形式的瑕疵のために、すでに実質的に無罪が確定している公訴事実(二)について、被告人千田に対し刑事上の責任を問うべきではないと考える。けだし、あらためて説くまでもなく、刑事判決の既判力の効果は、ひとり判決における具体的な法的安定性のためばかりでなく、ひとたび確定判決をうけた被告人個人の利益の保護のためにも認められなければならないからである。

ところで、上級審によつて原判決が破棄されて差し戻された場合の上級審の判断の拘束力は、原判決破棄の直接の理由となつた判断事項以外に及ぶものではないと解すべきであるところ、本件において、第一次上告審が原判決を破棄した理由は、被告人千田に対する公訴事実(一)についての原審の判断には、憲法二三条に関する解釈の誤があるとするだけで、同公訴事実(二)についてはなんらの判断が示されていないことは、その判文上一見極めて明白であつて、差戻後の第一、二審は、右公訴事実(二)に関する限り、第一次上告審の判断に拘束されるいわれはないのであるから、すべからく免訴の裁判をすべきであつたのである。しかるに差戻後の第一審が、右事実につき重ねて審判し、原審がこれを是認したことは、刑訴法三三七条一号に違反するばかりでなく、憲法三九条前段にも違反するものであり、当審としては、原判決中被告人千田に関する部分を全部破棄したうえ、同被告人に対する公訴事実(二)については免訴の裁判をするとともに、公訴事実(一)についてあらためて刑を量定すべきであると考えるものである。(下田武三 大隅健一郎 藤林益三 岸盛一 岸上康夫)

弁護人石島泰、同渡辺卓郎、同斎藤一好、同田口康雅の上告趣意

序論<省略>

第一点 憲法第二三条違反(一)

第二点 憲法第二三条違反(二)<省略>

第三点 憲法第二三条違反(三)<省略>

第四点 憲法第二三条違反(四)、裁判所法第四条違反、刑事訴訟法第三一七条違反<省略>

第五点 法令違反=違法性阻却判断の誤まり<省略>

第六点 憲法第三九条第三一条違反、刑事訴訟法の全体構造に対する違反

第七点 憲法第三五条、第三七条、第三八条違反<省略>

第八点 憲法第三七条違反、手続的正義違反<省略>

<前略>

第一点 憲法第二三条違反(一)

本件の憲法判断において、憲法二三条の保証する「学問の自由」権と「大学の自治」の本質についてその解釈を根本的に誤つている誤まり。

本件において、「学問の自由」の本質及び内容如何が終始中心的問題点として争われて来た。これに関し、最高裁判所は、すでにその差戻判決において一つの見解を示したのであるが、学問の自由は人類の知的創造力のたゆまざる展開とともに、くりかえし顧みられ、常に新たに把握されるべきものであり、一回の定義づけをもつて事終れりとなされるべきではないと信ぜられる。例えばアメリカにおいて学問の自由が、はじめて憲法上の権利として認められたのは一九五七年のSweezy v. New Hampshire, 354 U.S. 234においてであるが、合衆国最高裁判所は、その際は、この自由の内容について、十分立入つて説示を加える用意をもたなかつた。しかし、十年後教師の自由の侵害の憲法適合性がまた問題とされた時、同裁判所は再びこの自由を確認するとともに、その本質内容に関して詳細な説示を与えて、ニューヨーク州破壊活動取締法中の教員に対する忠誠審査条項を違憲無効としたのであつた。われわれもまた、この貴重な憲法上の自由の内容をますます豊かに価値づけ、人類進歩の基礎的条件の保障において過ることないよう、たえざる理論的努力を重ねるべきであろう。そのような見地において、以下「学問の自由」に関してわれわれの信ずるところをのべようと思う。

学問の自由を考えるに当つては、まず市民的自由の観点より出発して考え、大学ないし大学人の「特別の自由」といつたものが、すべての国民の平等の自由とはたして牴触しないかどうかを徹底的に再検討すべきであると考える。学問の自由を憲法において保障することは、少なくとも第二次世界戦争前はただドイツ及びその系統をひく諸国の憲法に限られていた(Walter A.E. Schmidt, Die Freiheit der Wissenschaft, 1929, S. 19)

ドイツに比し、民主義において相対的に先進的であつたイギリス、フランス、アメリカ等の諸国にあつては、大学に限られない初等・中等教育を通ずるすべての教育機関における教育の自由が要求されるか、または教師・学生の市民としての思想、良心、信教の自由、言論、出版の自由、集会・結社の自由を中心にして議論が展開され、大学及び大学人の「特別の自由」はこれと相容れない特権的自由として消極的評価を蒙る傾きがあつた(P. Slossen, Academic Freedom in A-merica, 5 University Review, No. 2. 1933)。

たしかに、ドイツ系譜に立つakade-mische Freiheit の理念は、その本来の姿においては、人民主権と個人の尊厳より出発する市民的自由の理念とは矛盾牴触する要素を少なからずもつていた。この理念は、中世大学の自治及び近代初頭において啓蒙専制君主によつて大学に与えられた(むしろおしつけられた)「哲学することの自由(libertas philosophandi)」

等に遡るが、そのより近い直接の原型を求めるならば、一八一〇年のベルリン大学の理念及び制度にこれを求めることができる。同大学は、プロイセンがナポレオンと戦つて敗れ、ティルジットにおいて屈辱的制約を強いられた時、プロイセン国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム三世の国家再興の決意のあらわれの一つとして構想設立されたものであつた。国王は大学設立に当つて「国家は物的諸力によつて失つたところのものを精神的諸力によつてかちとらなければならない」とという決意を語つている。大学における学問研究は、国家興隆の精神的原動力として重視され、その自由は最大限に尊重されることになつた。学問研究は知的創造力の自由な展開によつてのみ可能であり、上からの指揮監督は有害無益である。そこで、大学は国立大学として国家機関であるに拘らず、国家は大学の研究と教育に関しては、外的にこれを管理するに止め、研究・教育の内的事項は、教育人事を含め、研究教育者の広汎な自治に委ねることにされたのである。これが大学の自治であり、そこでは研究教育者の学内組織体たる教授会が重視され、教授会の自治が大学自治の基底に据えられることになつた。教授会自治は教育の身分保障を齎らし、講座が固定し、講義の多様化が妨げられるので、その補完物として学生のLernfreiheit(他大学を含むすべての講義の選択聴講の自由)が同時に保障されることになつたが、大学自治の本来の担い手が基本的にはつねに研究教育者とされたことは以上のような成行きよりしてきわめて自然であつた。このようにして、ベルリン大学において典型的に実現せしめられた大学の自由は、「ベルリンの自由(Berlinische Freiheit)」として、ドイツの他の大学に広く推し及ぼされることになつた。ここにドイツ的な大学自治の理念と制度が確立し一八四九年のフランクフルト憲法(一五三条)及び一八五〇年プロイセン鑑定憲法(二〇条)において憲法的保障にまで定められ(それはさらにワイマール憲法一四二条及びボン憲法五条三項に継承される)やがてわが国においても範とされるようになつたのである。

ここに確立せしめられた学問の自由ないし大学の自由の特質はつぎのような諸点に存するとみることができる。

(1) 学問の自由は、学問の発達が国家興隆の基礎であるという学問の国家的有用性の認識にもとづいて上(主権者たる国王)から与えられたものであつたこと。

(2) それは、市民的自由の不存在ないし不完全の上に、学識者の特権として与えられた特別の自由であつたこと(この点は一般的には検閲制度が敷かれている中にあつて、大学教授が検閲免除特権を与えられていたこと等において明らかである。)

(3) 研究と教育とが峻別され、学問の自由は専ら最高学府における研究及びこれと一体化した専門教育に関するものとして考えられたこと。つまり教育なかんずく一般公教育は次代の忠良なる臣民を育て上げるという見地よりむしろ国家主義的教育理念に委ねられ、ここに研究と教育はことなる理念に担われて対抗せしめられることになつた。

(4) 学問は高尚であるが政治は卑俗であり、後者をこととする国家・政府は前者に携わる大学に容喙すべきでないと同時に、大学もまた政治のごとき卑俗なことがらにかかわつてその品位をおとすべきでないという意識が大学自治の理念の根底にあり(高坂正顕、大学自治の本質「法の支配」一三号、三七頁)、換言すれば、大学の自由は、大学・大学人の政治的自由放棄の代償であつたこと。

このような意義特質をもつた大学・大学人の特別の自由が、国民主権と法の下の平等とに基礎づけられた市民的自由の見地より、素直には容認しがたいものであつたことは否定すべくもない。

イギリス・アメリカ・フランス等において、アカデーミッシェ・フライハイトの理念が、その本来のままの意義と姿においては、市民的自由のカタログ中において、なかなか市民権を獲得しえなかつたのは、右のような理由によると思われる。

しからば、学問の自由は、市民的自由の見地よりしては、承認しがたいものであろうか。単に憲法典中にその保障が明記されているからというような安易な態度でなく、われわれはこれを内容的につきつめて探究すべきであろう。そのような徹底的な吟味検討の結果、われわれは、つぎのような意味において、学問の自由を積極的に意義づけることができると考える。

第一に、真理探究の自由は、近代市民社会の基礎構造との関連において、個人の市民的自由以上の自由の保障を必要とする。そもそも、真理の探究は自由たるべきものである。研究題目、研究方法等を制限され、研究結果について文句をいわれたのでは、真理の探究はできない。ところが、近代市民社会においては、研究者は研究手段より切り離されている。近代における科学の発達は、研究手続・施設の精密化・尨大化・高価化を齎らしたが、研究者が個人としてこれを所有し、自由に使用できるという状況はおよそ想像することができない。それどころか、研究者は自らの生計を維持する財産的基礎すらもたないのが普通である。つまり、近代市民社会において、研究者は他人が設置した研究機関(大学を典型とす)に傭われて、他人より給料を支払われ、他人より研究費をもらつて研究を行なつているのである。稀に例外はあるであろうが、学問研究者の圧倒的多数が右のような条件下に置かれていることは何人も容易にこれを認めるところであろう。

ところで、組織・施設を所有し、人を傭い、金を出す者は、近代市民法上各種の権利・影響力を保障されている。何人も自分の金でつくつた組織・施設はこれを欲するように自由に管理運営できるであろうし、何人も嫌いな人を傭わなければならない拘束を受けるはずがなく、また何人も自ら提供した金の使われ方に文句をいう権利を留保する(換言すれば、一定の条件を応諾する者にのみ金を出す)ことができるであろう。このことは一般的には否定できない。しかし、真理探究を使命とする大学その他の研究機関にこの理が通用せしめられたならば、果して真理探究の自由は保障されるであろうか。否である。大学・研究機関の設置者、研究者の傭い主、研究費の拠出者が右のような市民法上の権利・影響力を憚るところなく行使したならば、真理探究の自由は存在しえない。研究者は研究の結果が大学設置者・傭い主・研究費拠出者の気にいらないからといつて解雇され、研究費の拠出を拒まれたのでは、真理の探究はできない。大学教育はその抱懐し講義する学理が大口の大学寄附者、有力な学生父兄を怒らせたからといつて直接間接の制裁を蒙つたのでは本当の研究はできない。ここに、真理探究の自由を保障しようとすれば、教育研究者個人の市民的自由のほかに、学問研究共同体の制度的自由を保障しなければならない根拠がある。この理は国公立大学たると私立大学たるとによりことならない。その主眼は、大学の設置者・教育研究者の傭主(任命権者)、研究費の拠出者(納税者の利益代弁者を以て任ずる政府)が一般市民法(行政法・民法)上もつ権能・権利影響力を放任したのでは、一般社会に妥当し又は妥当すべきものとされている思想及びその交換の自由が学問研究共同体内部にはいりこみえないことに鑑み前者の権能・権利・影響力(端的にいえば恣意)を抑制して、学問研究共同体内部に完全な思想及びその交換の自由を保障しようとするところにある。

この自由は、また、真理探究という機能を真に自由たらしめるために、真理探究という機能に携わる者すべてに保障されるべきものであり、その意味で機能的自由ということができる。大学が真理探究の使命を果しうるためには、かかる制度的自由と機能的自由が不可欠であり、市民的自由より出発して、市民的自由に忠実の立場で考えていつても、これらの自由の保障へと自ら到らざるをえないのである。

但し、右の説明からすでに明らかなように、これらの自由は、大学財政・研究費の問題があまり問題にならない状況では、深刻な問題として意識に上りがたい。イギリスでは、オックスフォード及ケンブリッジの両大学より存在せず、それらが豊富な基本財産(endowment)をもつて、なんら外部に依存せずにやつてゆけた時代においては、アカデミック・フリーダムはほとんど論ぜられることがなかつた。それが大学人の意識により真剣に議論されるようになつたのは、一九世紀後半財政的に新興工業都市の予算に依存するいわゆるredbrickuniversitiesが簇生した後、ことに二〇世紀にはいつて国家の大学に対する補助金の制度が行なわれるようになつて以降の時代であることはこのことを物語つている。アメリカにおいても、南北戦争前の農業国時代には大学は宗派立の小カレジであつて、アカデミック・フリーダムはほとんど問題にならず、それは南北戦後の急激な工業化、ことに一八九〇年以降実業界の大学に対する寄附の急増に伴つてはじめて重要な問題となつて登場している(Hofsta-dter & Metzger, The Development of Academic Freedom in the United States, 1955, P. 413 et seq.)

ここに登場せしめられた学問の自由は、ドイツ的系譜をもつ、それとことなり、市民的自由及び教育の自由の不存在を前提とし、これらの自由と矛盾対立するものでなく、市民的自由(思想及びその交換の自由)を基礎とし、それを大学設置者等の恣意を排して大学内に貫徹させるために要請されて来る自由であり、大学教授の身分的特権としての特別の自由ではなく真理探究に携わるすべての者に保障されるべき機能的自由である。大学は大学教育が既成の知識を切り売りし、学生がこれをただ受動的にのみこむところであるのではなく、大学が大学たるゆえんのものは、学生もまた真理探究の過程に主体的に寄与するところにあるのであれば、学生もまたこの意味での機能的自由としての学問の自由を保障されるべきを当然とすることは疑の余地がない。

第二に、学問の自由は、市民的自由の保障を基礎的価値原理とする近代市民社会において、より積極的な意義をもたしめられている。市民的自由の保障を基礎的価値原理とするとは、人類の無限の進歩を信じ、たえずより正しい原理より新しい真理を探究し、つねにその実理を求めてやまないことを意味する。それは、自然や社会の法則をより多く、より正しく認識することが人類のそれらに対するより大なる支配を可能にし、それがより多くの民衆の福祉を実現するものであることをみぬき、人類の進歩のためのたえざる努力を尊重することである。このような動態的な価値観を抱く社会は、一方において、国家が権力によつて新しい真理の登場を抑えつけることを嫌悪する。社会の常識・多数者の既成観念に挑戦する新しい真理はつねに少数者によつて生み出されるものであるから、多数者の見解によつて少数者の思想及びその表明を禁圧したのでは進歩は圧殺されることになる。右の価値観は、思想の真理性は思想の自由競争に任すほかないとの堅い確信を生むのである。

人類の進歩に価値を認める立場は、他方において、外ならぬ真理探究を基本的使命とする大学に「新しい真理の泉」として対象の期待をかけることになる。社会は、大学がよりよく真理を探究できるように、大学が社会の進歩に対してよりよく知的リーダーシップをとりうるように大学にできるだけ多くの真理探究の自由を保障しようとするに到るのである。大学は、さきにみたごとく、学生の主体性を前提にして、はじめてよく研究教育機関としての使命を果しうるのであるが、大学は、疑もなくなり自由でより主体的な学生を前提にすれば、よりよく真理探究の実を挙げうる。すなわち、創造的頭脳が育成されるためには、高度に自由な知的ふん囲気が必要であり、学生の狭い教室内に限られない高度の学内活動の自由が、ここに学問の自由の本質的契機として要請されて来るのである。

そして、その際注意されるべきことは、前項で考察した市民法(行政法・民法)的恣意に対する防衛的見地より考えられた制度的自由としての大学の自治においては、権限の所在はきわめて重要な意味をもつのに反して、本項で問題にする積極的見地よりする真理探究の高度の自由の保障においては、権限の所在はそれほど大きな意義をもたないということである。教育研究者が研究結果を理由に不利益を科せられることのないように真理探究の自由を保障するためには、教育研究者に対する実質的任命権・不利益処分権が学外機関ではなくて、学内機関に、後者の中でも学内行政機関ではなくて、教育研究者の自主的組織体(教授会)にあることが絶対に必要であろう。しかし、本項の見地、すなわち大学が進歩を貴重とする社会の期待に応えてよく真理探究の実を挙げるという見地から考えた場合には、いかにして大学構成員の知的創造力を最大限に発揮させるかという学内秩序(規則)の内容が問題になるのであつて、どの学内機関がその決定権限をもつかということはそれほど問題にならない。いつてみれば、真理探究の基本的秩序はそれに携わるすべての大学構成員の積極的参加によつてつくられるべきであつて、前項の見地から要請される教授会自治の原理を本項の見地においても貫徹させようとすることは、大学をしてその民主社会における使命を正しく果さしめるゆえんのものではない。

大学の使命は無形の内面的価値の創造である。対内面的には、いかに権限を明確整然と分配しても、真理究探の実があがるものではない。大事なことは、大学において真理探究に携わるすべての人が、真理を愛し、その探究に邁進しないではいられない真に学問的な自由なふん囲気を実現することである。そのような条件は、真理探究に携わるすべての者に、積極的参加と自由を保障することによつてまた成就されるであろう。大学が「新しい真理の泉」たるべく期待されて社会より与えられた高度の真理探究の自由において、学生が反射動的享受にしか与りえないとする見解はとうてい正しいものとは考えられない。

第三に、進歩を最高の価値とする社会における大学は、次の世代が未来の未知の困難な課題を克服しうる独立的判断と主体的精神をもつたものとなるようにこれを育て上げなければならないのであり、このことから特別の自由が要請されて来る。進歩する社会は、人類の自然に対する支配力を増大せしめるであろうが、しかし、それはまた、たえず新しいより困難な課題を人類に課せしめる。大学は単に旧い既存の知識を授けるのみでなく、また新しい真理を発見達成しうる創造的精神を開発しなければならない。しかし、それはまた、歴史の急速な展開を促し、次の世代をして、現世代の理解と想像を越える新しい、おそらくはより困難な課題に直面させることになる。大学は、学生をしてこれを自ら独立に克服しうる能力をもつものたらしめ、学生をそのような者として世に送り出すのでなければ、その使命を果したことにはならないのである。

ところで、教育は、本来的に、教育者の権威と被教育者の従属を前提とする。前者はより高いより豊富な学識の保有者として教室内の秩序を支配し、後者はその一端のわけ与えられることを求めて教室に来るのである。しかも、大学は、今みたように、教育によりより独立的でより立体的な世代をつくり出さなければならない。この大学教育における最も重要困難なジレンマはいかに解決されるべきであろうか。ここに、大学の自治の一環として学生の自治が要請されて来る。すなわち、どうしても教官の権威の下におかれることにならざるをえない教室の外において、できるだけ学生の自由な自治的な活動を認め、またむしろ奨励することである。その学生に認められるべき学内自治活動は、一方の極においては、きわめて学問的なものであろう。身分を保障された教育の説く特定の学理に対して、学生は教室外においてことなる学理を求め学ぶ自由を保障され、このような自由のなかから自主的価値的選択と独立的思考とをやしなうことが期待されなければならないのである。しかし、他方の極において、その自治活動は狭い意味の学問研究より著しく遠ざかりうる。大学の育て上げなければならないのは、未来が次の世代に課する人類的課題を克服する独立的主体的能力である。それが狭い理論の枠内に止ることはまずありえない。要求されるのは全人格的な能力である。創造的・独立的・主体的能力はつねに自ら実行し現実にためすことを通じてでなければ開発されえない、それは「まちがう自由」を含まざるをえない、大学が、未来のもち来す困難にうちかつ世代をつくるべきであるならば―自由と進歩を最高の価値原理とする社会は疑もなくそれを要求している―大学は学生が、かかる「まちがう自由」をもつて現代の現実の課題に真剣に対決することを激励こそすれ、禁圧すべきではないのである。

だがしかし、ここに大学の外なる社会との困難なかかわりが出来する。すなわち、学生が独立的思考と行動を現実に学びとる課程は、ごく常識的な社会の尺度よりする許容度をこえる行動となる場合が生ずるのである。その際、専らただ一般社会的基準にてらして事を処理することは、長い眼でみた場合の社会の目的に資するものではない。学生だから大目にみるべきだというのは学生を甘やかす論理であつて、それをとるものでは絶対にない。むしろ、一般には許れても、学生には許されない、或いは許すべきでない行為もある。ただ大目にみることがここでの問題の中心ではない。そうではなくて、さきにのべたような意味での大学の使命及び学生自治活動の意義にかんがみ、後者より生ずる社会規範の侵害又はそのおそれに関しては、第一次的に大学の処理に任すべきだということである。それは大学の治外法権を認めたり、大学の独善を許すことではない。社会が「新しい真理の泉」としての大学に期待し、来るべき時代の齎すであろう人類の課題を克服する世代の育成を大学に委ねた以上、右のような意味での大学の自主的処理を認めないことは、大学の使命達成を妨害することになるのである。

以上のように、学問の自由と大学の自治を単に明治憲法以来踏襲されたままに形式的に理解することなく、日本国憲法のよつて立つ基本的人権尊重主義―個人の尊厳と平等―の見地より徹底的に理論構成しなおして考えてみると、問題はきわめて深く重大であることがわかる。最高裁判所破棄判決のように、大学の自治は「直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由」であり、学生はかかる大学自治の本来の相手のもつ「特別な学問の自由と自治」の反射的効果として若干の自治をもつにすぎないとし、また学生の学内自治活動の問題をただ「大学当局の〔施設に対する〕自治的管理」権の効果として処理する立場は、自由と民主主義を基本原理とする社会において大学の果すべき使命をおよそ考えない立場である。憲法上の保障をかちとつた諸々の自由は、いずれも民主社会の基本秩序にかかわる深い問題を含んでいる。なかんずく学問の自由は、人類の知的進歩の基本的条件及び人類の未来の課題との対決に当つての大学の使命というきわめて重大な問題にかかわつている。最高裁判所が憲法上の自由に含まれるこれらの重大な問題を掘り下げて考究し、その憲法裁判所としての使命を果すことを期待してやまない。

<中略>

第六点 原判決は憲法第三九条、第三一条、その他三審制をとる刑事訴訟法の全体構造に違反する。

原判決が控訴趣意第三点に対する判示中に述べているとおり、旧一審は本件各公訴事実のうち、被告人が各単独で、一部の暴行の行為をなしたという縮少された事実を認定し、それを前提として被告人らを無罪とした。検察官は控訴審においてその縮少認定を争つたが、被告人千田謙蔵に対する旧二審判決の容れるところとならなかつた。検察官は上告に際し、この事実認定を争うことをしなかつた。即ち検察官は上告段階においては右旧二審判決の事実認定に服した。

第一次上告審判決は、その理由中において「原審の認定するところによれば……」「またひとしく原審の認定するところによれば……」として旧二審判決の一定の事実認定を引用していることからも明らかなように、旧二審の事実認定を法律判断の基礎とし、これを前提とした上での憲法判断のみによつて旧一、二審判決を破棄したのであつて、右一、二審判決の事実認定そのものを破棄しているものではない。因みに、入江裁判官他三名の補足意見が違法性阻却に関する判断の中で「原判決の認定するところによれば」として、旧二審判決の罪体に関する事実認定を前提にしていることも注意される。

更にまた、石坂裁判官が自ら事実誤認について判断を進め、事実誤認を主張しているが、これが少数意見として止り、判決そのものの容れるところとならなかつたことからが明らかである。第一次上告審判決はこのように事実誤認のないことを言外に表明し、旧一、二審判決の事実認定を確定的な前提として判断しているのである。

原判決は右最高裁判決の破棄理由について省みることなく、抽象的に「全部破棄された」とのみことさらに強調しているが、上告審破棄判決によつて、それまでの一、二審の訴訟経過が「ゼロ」になるものでないことはいうまでもない。「全部破棄」というような抽象的形容で本論点に関する弁護人の見解を斥けることは明らかに誤りであると云わなければならない。

注1 上訴理由中のある部分だけを認めてその部分につき原判決を破棄し、他の上訴理由につき上訴を棄却した事例(最判昭和三三年四月一〇日刑集一二巻八六六頁)

注2 第一審の法令適用の誤りを理由に原判決を破棄して自判する場合に、原判決の認定事実は確定したものであらたに事実を認定することを要せず、「原審の認定した事実を基礎として法令の適用をしたのは正当」とした事例(最決昭和二八年八月七日刑集七巻一六七九頁)

被告人福井駿平に対する旧二審は、千田に対する右最高裁判決が示されたのちにこれと全く同旨の理由によつて旧一審判決を破棄したものである。

このような本件事実認定についての訴訟経過に鑑みるとき、前記最高裁及び高裁判決の如き理由によつてのみ差し戻された差戻審(新一審)における審理の対象は、その前審の継続として把えられなくてはならず、従つて、被告人千田については、最高裁判決までの三審の段階で確定した事実認定、すなわち、旧二審判決が最終的に認定し検察官も上告審で争わなかつた事実が差戻一審に引きつがれ、その審判対象は厳格にこの範囲に限定され、被告人福井についても旧二審判決の基礎となつた事実認定、すなわち、旧一審判決の認定した事実認定の範囲に限定されなければならない。従つて検察官がこの限定範囲以上に被告人に不利益な主張をすることも、新一審が右範囲以上に被告人らに不利益な事実を認定することも許されないものと考えるべきである。

若しそうでないならば、被告人らは、旧一、二審の事実認定の範囲で有罪であつた方が有利であるという不合理な結果にならざるを得ない。

元来刑事訴訟法が三審制を採つているのは特に被告人の利益を保障し、裁判における具体的な救済を主要な目的としたもであり、この制度は被告人に与えられた裁判上の権利である。わが憲法においては、近代民主主義国家の原則に則り、裁判が「権利」―即ち基本的人権―として規定されていることを忘れてはならない。(憲法第三二条、三七条)わが国においては検察官にも不服申立の権利が認められているが、英米法では国の側、すなわち検察官からの上訴―特に無罪判決に対する上訴―は許されないのが原則である。けだし、裁判制度が本来被告人の側の「権利」であることを主たる側面とする刑事訴訟の構造の理念によるものであり、更に被告人を「二重の危険」に陥れることになるからである。この「二重の危険の禁止」は英国ではコモン・ローに基いて認められている原理であり、英国ではこの原理を承継して法律の明文によつて規定されている。わが憲法第三九条は米国憲法の「二重の危険の禁止」規定に由来している。最高裁は下級審の無罪又は有罪判決に対し検察官が上訴し、有罪又はより重い刑の判決を求めることは違憲ではないとした(昭和二五年九月二七日大法廷判決)しかし検察官の上訴が認められるものとしても、右憲法の規定並びに二重の危険の禁止の原則に照らし、検察官の上訴は最小最低限において認められるにすぎないものとしなければならない。従つても、事実審たる二審において、検察官の再度の事実主張がしりぞけられた以上、検察官に認められる上告は刑事訴訟法第四〇五条によつて厳格に限定されている結果、事実認定については二審判決の事実認定が確定し検察官は最早やこれを争い得なくなるのであつて、この道理は差戻後の審級に引きつがれ差戻一審において検察官が前審段階で確定された事実認定以上に被告人に不利益な主張をすることは憲法第三九条並びに二重の危険禁止の原則上許されないものと云うべきである。

原判決が「差戻された第一審の手続も、原則として公訴提起に引き続いて行われる第一審の手続と異つたところはない」と判示し、「新一審判決が被告人両名につき不利な事実を認定したことは……両名の審級の利益を奪うものではない」としたことは、右のような基本的人権たる「裁判を受ける権利」を保障した憲法第三九条、第三一条の理念に違反し、三審制をとる刑事訴訟法の全体構造の基本理念に違反するものである。

仮りに違憲とまでは云えないとしても原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである。

<後略>

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